「感じること」の重圧から解き放たれたとき、「生」の感動を知る

 それは、新型コロナウィルス感染症を発症して3日目のことでした。我が家には8カ月になる仔猫ビリーがいます。発症したのは夫婦ともでしたが、咳の症状が酷い私は、万一の感染を避けるため、ビリーがいるリンビングルームには出入り禁止となり、主に夫がビリーの世話をすることにしました。私は同じ家にいながら、全くビリーの顔を見ることができなくなりました。

 

 私の症状は、咳以外にも、味覚・嗅覚がなくなり、声が全く出なくなりました。でも、その状態は意外にも、私を「何かを伝えなければいけない重圧」と、「常に匂いに取り巻かれている喧騒」から完全に解き放ってくれました。そして、「感じること」が通常より極端に少なくなった私は、自分のことを真っ白で清潔な存在だと思えたんです。不思議ですね。

 

 そういう状態になってようやく、

「ビリー。ビリーに会いたい」

と自然に思うことができました。もう一生ビリーに会えないような気がしていたのですね。でも、きっと心の中で密かに否定していたのです。自分を清潔だと思えて初めて、冷静に物事を考えなくちゃいけないとか、悲観的になっちゃいけないとか、投げやりになってはいけないとか、いつも気をつけていることから解放されたのです。私は真っ白なんだから、何を思っても誰にも毒にもならないのだと思えたのです。自分の自然な心の動きを「毒」だと感じているなんて、自分で自分が気の毒になりました。

 

 私は寝室を抜け出し、廊下を這うようにしてリビングルームへ向かいました。そしてドアを開けました。

 

 ガチャ・・・・・・。

 

 すると、50センチほど前方、私の目の高さに、たったいま朝ごはんを終えたばかりのビリーの顔がありました。あんなに見たいと望んだビリーの顔です。ビリーは食後の舌なめずりをしているところでした。ビリーの舌は、自分の顔中をぐるりぐるりと舐めまわしていました。私の耳には、

「ぴっちゃぴっちゃぴっちゃぴっちゃ。にちゃっ、にちゃっ。ちゃっ、むちゃっ」

という音が聞こえて来ました。そして、その瞬間、私の世界には、それ以外のモノは何もありませんでした。ビリーの舌は、休むことなくいつまでも動いていました。そのたびに「にちゃにちゃ」と音がします。

 

 私はその音に心を打たれ、その場に座りこんでしまいました。私は、今、ビリーの「生」を強烈に感じているのです。それは、神々しい姿でした。ビリーの奏でる音だけが、今の私の生きがいでした。

 

「早く出て行け!」

 いきなり空気がびぃんと震えました。夫が怒鳴ったのです。

 

 ビリー・・・・・・。私のビリー・・・・・・。

 

 私はすごすごと寝室に戻りました。