『ジュエルっ子プロジェクト』作者について

このページは、2016年6月~7月にFAAVO滋賀で達成したクラウドファンディングを元に編集しています。

 

全記事はこちら(FAAVO by CAMPFIRE)でご覧いただけます。

(一部リンクは古くなっておりますので、ご不明点等は下のお問合せフォームからお寄せくださいませ)


濱田 アキ(はまだ あき)

『ジュエルっ子物語』のお話を作った人

 

私の活動すべては、実は、16歳の自分との約束につながっています。

 

私は高校1年生の時に、原因も分からず、突然学校に行けなくなりました。無理に行こうとしても、身体が言うことを聞かないのです。

ショックで何度も一人で泣きました。

 

でも、そんな時でも、「治したい」というより、「自分の心に何が起きているのか、何のために起きているのか、教えて欲しい」と強く願っていました。

 

その時はすぐに答えは見つからず、私は、その問いかけを未来の自分に託しました。

私は、「必ず答えを見つけるから」と16歳の自分に約束をしました。

 

あれから、もう、30年以上。

答えはまだ見つかりません。

 

でも、一日一日生きていると、昨日よりは少し答えに近づけたかも、と思えるようになりました。

 

『ジュエルっ子物語』は、私の人生のテーマとパートナーの性別違和を絡めた表現でしたが、そんな個人的な物語を、たまたま犬飼さんが見出してくださり、光を浴びることになりました。

 

答えを見つける以上の素晴らしい体験が、私にプレゼントされたのです。

 

「生きるって捨てたものじゃないな」と心から思えました。

 

この『絵本・ジュエルっ子物語』が、必要とされる方全てに、隅々まで行き渡ることを願っております。

犬飼 美也妃(いぬかい みやき)

『ジュエルっ子物語』の絵を描いた人

 

 私は「アーティスト」という肩書きのもと、絵を描いたり、身体で表現したり、自分が普段感じている事を、いろいろな形で発表しています。

 

そんな私ですが、実は、今感じている事を言葉にするのがとても苦手です。

 

濱田さんのこの物語に出会った時に、なぜだか「私の事だ」と思いました。

 

それは、女の子?男の子?という部分ではなくて、主人公のアキが陥った、探している物が見つからない、何を探しているのかもわからない、絶望や孤独の世界感が、体験したことのあるものだったのです。

 

主人公アキの言葉を借りて、私は私の中にある気持ちを、もう一度探って、外に出したかったのだと思います。

 

そして、素敵な結末を主人公アキと共に体験して、すっかり忘れていた、「自分を素敵だと思える誰かに出会った時の気持ち」を思い出したかったのでしょう。

 

人はひとりではトンネルをぬけられなくて、色んな人に出会いながら、一歩一歩、先へと進んで行きます。

 

濱田さんに出会って、この絵本を一緒に作れた事は私にとってすてきな体験でした。

 

みなさんが、この先の多くの出会いの中で、自分の中の宝石の新たな輝きを見つけられますように。 

 

アーティスト犬飼美也妃のホームページ



パフォーマンスアートの効能

2016/06/13 22:24

 

引き続き犬飼です。

 

ジュエルっ子プロジェクトの対話型展覧会の中の、パフォーマンスアートって何?

というのが、一般的な謎だと思います。

現代美術の分野の身体表現なのですが、難しい話は置いておいて、

2日間のワークの中で一番心に残っていることと、表現する事で私の体験したことを書きます。

「心と体の結びつきって、実はすごく危ういもので、こうやって話を聞いていると、みんな誰しも、そのアンバランスさを持っているのではないかと思う」と私が言った時、講師でもあり、世界的なパフォーマンスアーティストの霜田誠二さんが言った言葉は、

「心と体が一致することの方が奇跡で、その奇跡の瞬間をパフォーマンスの中で見つければいいんじゃないか。」

また、「心と体が一致していないくらいの状態の方が日常を生きられる。」という言葉は、私にとってセンセーショナルでした。

だって、だって、ずっと、一致させなきゃ普通になれないと思って苦しんできたんだもん。

 

そういう、みんなの対話の時間と、演習の時間が、交互にありつつ、思いや思考、身体感覚が、一つに統合されていきます。

 

私の作品は、主にセクシャリティの問題を扱うことが多いです。女性であるけど、女性でしかないわけではないのに、あたかも女性でしかないかのように扱われる窮屈さ。

最も愛するべきものが最も憎むべきものと重なる時の恐怖と心地よさ。

快感の残酷さと絶望することの中で生まれる優しさ。

 

上記の写真はそんな感じ。

そして、突然の雨の中、みんなで入ったミスドの中で行われたテーブルパフォーマンスは、

一滴一滴順番に、何回も、腕に落としたカフェオレの滴が、

3周目くらいから溢れて流れる様子は、私ではなく、身体が流す涙のようで、そんな身体を静観してみている自分は、一致していない身体も愛せるような気さえしてくる。

 

その身体の涙が描いた形はこちら。

全ては即興で行われます。そして、自然にそこから言葉が生まれてくるのです。

こんなような行為とそこから生まれてくる言葉で、新たに自分を見つめ直してみるような、

 

そんな時間を、ジュエルっ子プロジェクトの中でももてたらいいなと思っています。

 

今回は、自分の作品しか載せられませんが、

気になる方は、Facebookの犬飼美也妃をフォローしてください。

友達にならなくても、世界中のいろんなパフォーマンスアートが公開設定で見れるようにしてあります。

 

こういう活動に、少しでも、興味を持っていただけたらと思って、掲載させていただきました!

よろしくお願いします!!!!


ジュエルっ子物語、絵の技法について

2016/06/28 23:56

 

犬飼です。

NPO法人草津市心身障害児者連絡協議会が運営している障害福祉センターのセンター長と記念写真。【左写真】

 

今週末に行われる、「絵本ジュエルっ子物語原画展」を共催してくださるセンターの事務所がある施設です。

ジュエルっ子プロジェクトを立ち上げてすぐの頃から、いろいろ協力してくださっています。

 

私は、この施設の中でもう、10年近く「楽しいえあそび講座」というのをやらせていただいています。

障害を持った子ども優先のボーダレスなえあそび教室です。

この日はそこで、朗読させていただきました。

実は、この教室の子ども達は4歳5歳がほとんど。

以前、専門の方に話を伺った時、性別への違和感を持っている子は、早い時、4歳くらいから、違和感を感じ始めるそうです。確かに、4歳くらいから、絵にも、女子と男子の違いが見られ始めます。

女の子は主に、関係性(お友達と私、お母さんと私、私とお花)などを描き始めますが、男の子は即物的なもの(車、電車、ロケット)などを描きはじめます。

 

それはさておき、ジュエルっ子物語の文章はちょっと大人向きな、心の抽象表現が多いので、今回は、少し噛み砕いて読んでみました。

「この子はアキちゃんと言います」から始まって、みんなで自己紹介しあったり、

「タクちゃんは、女の子だと思いますか?男の子だと思いますか?」と聞いてみたり。

 

それぞれ全員に、「あなたは男の子?女の子?」と聞いてみたり。

中でも面白かったのは、男の子と女の子の違い。

結局、一番違うのは、「おしっこの仕方」というのに行き着いて、男の子の方が簡単そうでいいいって事から、みんな最後は男の子になりたがるという結末。(笑)

 

4歳児5歳児のストライクゾーンにハマってしまった。(笑)

 

それでも最後は、みんな、これから先小学校行ったり、中学校に行ったり、いろんな所で、たくさんのお友達に出会うと思うから、男の子とか、女の子とか、みんなと何かが違うとか、そういうことじゃなくて、みんなの中の宝石や、自分の中の宝石を見つけられるような、素敵なお友達をいっぱい作ろうね!

 

で終わりました。

 

そして、同じ日の午後から今度は中学生以上の大人のクラス「楽しい美術講座」があります。

こちらも障害を持った方優先ですが、今は半数以上が障害を持っていない、絵を描くことが趣味の私より年上の方々。その中で読ませていただくのは、今までの中で1番緊張したかも。

一応、絵画教室なので、読んだ後に、ジュエルっ子の絵の技法の話しも。

実はジュエルっ子の絵は、オートマチズムと言われる種類の描き方で、偶然に出来た形からイメージを膨らませて描いているものが幾つかあります。シュールレアリストの絵描きさんが使っていた技法です。

絵の具が作り出す。偶然の形や偶然の表情からイメージを膨らますというのは、人間の深層心理を表現するのに向いていると言われていた方法です。

 

私は、アキさんのお話を何回も何回も読みながら、わざとムラがあるように塗った大量の下地をアトリエいっぱいに並べて、その中に何か形が見えてきたものを拾い上げて、絵を描いてゆく、という方法でジュエルっ子物語を描きました。

 

ジュエルっ子の世界は、画面に勝手に浮かび上がってきたのです。

 

この日は、そういう話をしながら、アキさんの文章を読みながら、何か、好きなシーンを描いてみるというワークショップも面白いかもな、と新たなワクワクが浮かびました!

やって見たい人、呼んでください!!

 

まずは、今週末の原画展。皆様に会えるの、楽しみにしております!

 

「ジュエルっ子物語 対話型原画展」と「朗読&パフォーマンスライブ」

Facebook

 

https://www.facebook.com/events/1757620011128233/

 

よろしくお願いします。


「私なんか」が支援の場にいる理由

2016/07/05 01:31

 

みなさんこんにちは!ジュエルっ子物語で絵を描いている方の犬飼です。

 

先日行われた「絵本ジュエルっ子物語 対話型原画展」のワークショップとパフォーマンスの様子を紹介しつつ、私が支援の場にいるわけを書こうと思います。

 

ジュエルっ子展の中で行われたお絵描きワークショップ。

「絵の具の染みを見つめて、何かが見えてきたら、そこから絵を作っていこう」というお題。実際に、ジュエルっ子の絵の中に、そうやって描いたものが何枚かあります。

 

さて、参加者の皆さんの作品をごらんください。【左写真】

左上:草原の中の羊、右上:雨上がりのカエルと紫陽花

左中:木としゃがんでる少年、右中:飛ぶうさぎと木

左下:大好きなAAAと虹、右下:琵琶湖と鳥

 

始め、ただのシミだけの画用紙を見つめて、みんなで、あれに見える、これに見えると、それぞれ違った意見。

人によって同じシミでも違ったものに見えるなんて不思議だよね。

そして、見えたものを軸にして、自分の絵を描いて行きます。

 

なるべくシミ感を残したままにね。

そして出来上がったものを見て、やっぱり深層心理が出ちゃうのかもね、など話しながら、その人が持っている世界観をみんなで堪能します。

 

そして、朗読とパフォーマンスの Liveでやったパフォーマンスは、私の代表作のひとつ。Breathing harmony(ブリージングハーモニー)。

呼吸を通して、私とみんなが、みんなとみんなが、コミュニケーションをとってゆくパフォーマンス。伝えたい想いを込めたみんなの息を、みんなとハグしながら割っていきます。ハグが恥ずかしい人は、後ろから割ってね。最後に残ったものは、私が責任を持って抱きしめて、割りました。ちなみに持っているヒマワリは、午前中に見に来てくれた、可愛いオトモダチがくれました。

このパフォーマンスに名前をつけてくれたのは、インドネシアのギャラリーのオーナーでした。

「君は呼吸でハーモニーを奏でているんだね。草や動物や虫もいつの間にか、君と一緒にハーモニーの一部になっていたよ。」

と。

 

アキは絵本の中で、「このまま、息をしているだけで終わっちゃうのかな?」と言っているけど、息も、一人ではなくて、みんなですってはいてしたら、なぜか、一体感を感じられるんです。

 

私はこのブリージングハーモニーのプロジェクトを小児科病棟でもやったことがあります。「ただ息をしているだけ」と、「みんなで呼吸を合わせて息をする」ことは、似ているけれど、ものすごく違う。そんな風にしてみんなで作った息に抱きついてみたら、ホワホワで気持ち良い。

 

私はカウンセラーではないし、社会福祉士の資格を持っているわけでもない、無資格のただの表現者です。でも不思議な事に、この10年間、支援の場にいることが私の仕事です。

 

もっと言うと、カウンセラー側に立つなんて、もっての外、カウンセリング受ける側の人間です。(プチカミングアウト)

今でも時々、私がそんな仕事をしていてもいいのかと、カウンセラーさんに相談するくらいに。

 

この10年の現場での体験の中で、私は、誰かを理解するとか、癒すとか、治すとか、回復とか、そんな大層なことを考えたことがないんです。

ただ、きれい、楽しい、気持ちいい、と感じる時間を作ること。悲しいや、苦しい、イライラする、を他人の事のように、画面に載っけることができる時間を作ることが必要なのは、私だけじゃなくて、もしかしたら、誰にでも、必要な時間なのかなと思っています。

 

支援のプロではなくて、表現のプロだから気がつく何か、だからこそ、その思いを昇華に導ける方法を使って、感情を上手に出してゆく、そしてそれを見せてゆく、受け止めてもらえる時間の大切さを味わってもらう。

 

それが私にできることで、こんな私なんかが、すっかり支援の場にいる人になっている不思議な事態。

 

アートは支援じゃないんです。「自分讃歌」のための方法で、コンプレックスほど魅力になって、それをじゃんじゃん見せちゃえる世界。それがいいと言ってくれる人がいる世界。

 

作品を真ん中にして、対話が生まれる。それは作者が個人的な思いを込めているから、見る人も、自然に自分の個人的な思いが震えたりする。

 

そのために、私は、今、ここに、この支援の場にいるんだろうな、と思っているので、一生懸命、表現者であり続けます。

気がノったら、声かけてください。見てるだけじゃなくて、絵を描いたり、パフォーマンスしたり、一緒にやってみましょう。自分讃歌。