存在しないものを怖がっている

 ビリーの誕生日当日です。私は午前中に近所の動物病院に行っていました。ビリーのお腹の薬を取りにです。実はビリー、元気ではあるのですが、ここしばらく結膜炎や軟便を繰り返しているのです。猫の体調は出し入れするもので見るしかなく(食欲とか尿・便とか)、本人に聞けないだけに、なかなか辛いものがありますね。病院でも、「長い目で見て行きましょう」という話をしました。

 

 一方つぼみです。8カ月になるつぼみは、最近「フンコロガシ」をするようになり・・・・・・。分かりますか? 排便した後、自分の便を手で遊ぶように転がすのです。もちろん手に便がつきます。そして、もちろん、その手のまま歩き回ります(!)。私が在宅している時は、すぐに手を拭いたり洗ったりできるからいいのですが、留守中だと大変(何が起きるかご想像ください)。かーさんは頭を抱えています。成猫になれば落ち着くのでしょうか・・・・・・。

 

 と、やはり猫ネタから始まりました。ここ最近、飼い猫のウンチのことしか考えておらず、ビリーが排便回数が多いため、一日中ウンチの掃除ばかりしている気がします。いいんです、いいんです。大切なことですから。

 

 しかし、少し頭を仕事の方にも切り替えないといけませんね。実は(実は、ばかりですが)、一件作品を発表する準備をしていたのですが、それが直前で一旦ストップがかかり、待ちの状態になっています。どうして、今? 私が? と、信じられない気持ちでいっぱいです。でも、今まで物事がスムーズに進んだ体験があまりないので、それが幸いし、意外と落ち着いてはいます。作品を世に出すことよりも、頭の端っこで気になっていることがあります。ふと、今は亡き尊敬する先生の言葉を思い出したのです。「起きていることが全て」。それは自分の心を表すものとしての言葉です。いくら「こう思う」とか「こう考える」とか、口当たりのいい言葉では「真実の自分は」とか「ありのままの自分は」とか言っても、今現実で起きていることが自分の「顕在意識」とか「無意識」を表していると。それを聞いて、先生は人をそのように見ているのかと怖くなったことを覚えています。どれだけ理想を語ろうが、今何が起きているかを見ればそれが「その人」なのですから、とてもシンプル。嘘偽りの入る余地はありません。そう思うと、今、作品発表がストップしてしまうとは、私の心の何を表しているのでしょうか。表面上の理由はもちろん機械上や人間の手等のエラーが原因です。しかし、そこを自分の「心」レベルで見るのです。案の定、すぐに「できれば世に出ないで欲しい」と心のどこかで思っていることが浮かびます。「作品」って、自分を丸裸にしているようなものです。だから、怖いのです。元々ええかっこしいで、化けの皮が剝がれることを何よりも恐れて生きています。作品は化けの皮が被れないのですよね。このようにビクビクする気持ちがなければ、するりと発表できていたはずです。でも、この「化けの皮」って、被ることも幻想だし、剥がれることも幻想。そもそも存在しないもの。私は幻想を恐れて、機械や人にエラーを起こしたのです。タチが悪いですね。

 

*これは、ひとつのたとえ話です。