あの日の自分は「10%」


 午後から片頭痛でした。そんな日は、朝から色々な出来事があったにもかかわらず、「片頭痛の日だった」としてしまいます。こうして振り返ってみると、1日1日「こんな日だった」と一言で結論づけているようです。これは何? 子どもの頃の絵日記の名残でしょうか。私は片頭痛をよく起こすのですが、それだけに限って言えば、よく考えるともったいないですね。そうは言っても、やっぱり「今日は片頭痛でした」。強烈に辛いのです。5/6(土)に新型コロナワクチンを接種してから毎日片頭痛を起こしています。通っている頭痛外来の先生によると、片頭痛持ちの人でワクチン後このような状態になる人は多いのだそうです。

 

 片頭痛になると、いきなり活動は半分以下に制限されてしまいます。外出、食事、酷くなると起きていることも難しくなります。ちなみに今日、大学の課題はちっとも進みませんでした。でも、この活動制限...と感じてしまうのは、「もっと多くのことができるはず」という期待の気持ちが大きいのではないかと思いました。外出できるはず。食事できるはず。きちんと起きて何かができるはず。大学の課題を進められるはず(これは何としても進めないといけないのですが...)。小さな小さな日常の活動への期待。いいえ、むしろ憧れ。望んで望んで、でもほとんど得られず、床に突っ伏して泣いて・・・・・・。

 

 そう。高校生の頃、いきなり吐き気をもよおして登校するのが困難になったあの日。来る日も来る日も、身体をひきずるようにして足を学校へ向けていた。止まってはいけない。向かうのだ、あそこへ、と。力み過ぎて脳には酸素が回らず、もうろうとする中で、もうろうとしていたからこそ「吐き気なんかない。これは気のせい。私は普通なんだ。他のみんなと同じ」と唱えました。しかもこの状態、人前だけで出現するのです。私ひとりだけで行動する分には、制限はかからないのです。ひとりだけの時と人前の時、同じように活動したい。私の感覚的に人前では10%ぐらいに落ちてしまったように感じました。私はショックを受けました。自分自身に落胆しました。自分をあきらめました。表面上は無理矢理でも登校していたし、卒業も就職もできた。でも、「将来の夢」は思い描けなくなってしまいました。だって、100%の活動ができないのだもの・・・・・・。

 

 あの頃の私が不憫で、私は50歳を過ぎてもなお、前へ進んでいる気がしません。あの可哀想な私を置いていけないのです。現在の片頭痛は私の活動を大きく制限していますが、でももう少し深層に進んでみると、あの頃の自分自身を救ってあげられていない自分への戒めのような気もするのです。