「お話」を創ること


 明日はいよいよ、第1回目の卒業研究・教員面接指導を受けます。ここに来るまでに、自分が書こうとしている作品冒頭を3回講評してもらっていて、それについての話し合いをする予定です。この度重なる講評、つまり、自分の構想について突っ込まれて突っ込まれて突っ込まれてという作業の中で、私はすっかり自分を見失ってしまいました。迷子の感覚です。私、こんなに書くことが下手っぴだったのかと落ち込んでいます。この感情やプロセスが卒業研究という教科としてまずいことなのか、当たり前に通過することなのか、それが心配です。無事卒業に向かえますように。

 

 「お話」を創ること、いいえ、お話を創ることの偉大さや奥深さに夢中になっています。子どもの頃から「お話」が好きでしたが、それが「好き」ということは仲良しさんにだけこっそり打ち明ける・・・・・・というような、何だか悪いことをしているような気分になったものです。私の中で「お話」の地位がとても低いものだったのです。大学で学んだからと言って、その地位が爆上がりしたなんてことはないのですが、「ああ、価値を低く見ていたんだなぁ」と気づいたことは大きかったと思います。私は今後生涯にかけて「お話」を大切にしたいと思います。だからこそ、今、苦しんでも苦しんで学んでいるわけです。