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アイデンティティのバリエーション


 久しぶりに、本当に久しぶりに、性的マイノリティとしての自己紹介をしました。意図せず踏み入れた場所が、たまたま様々なマイノリティさんが集まる場所で、じゃあ私は「何の」マイノリティか、という話になったんです。これ、面白い切り口でした。

 

「性的マイノリティの当事者ですか?」

「はい、そうです」

「ええと、説明するとすると、LGBTQの・・・・・・」

「『B』に当てはまります。それはなぜかというと(中略)。でも以前は『L』と言っていました。それはなぜかというと(中略)」

 

 すらすらすら~と口から出たことに自分で少し驚きました。私は決して話し方がスムーズな方ではありませんから。そこで気づいたのは、現在のセクシュアリティ的なアイデンティティは、長年(と言っても15年ほど)の夫婦関係の中で築き上げて来たものだということです。だから考えがまとまっているんですね。しかも、これ、「私個人」のものじゃない。だからもし夫婦が解体すれば・・・・・? たぶんアイデンティティが崩壊して、私の存在がふらふらするのだと思います。これでは生きて行くのがつらくなるでしょう。「自分が何」というのが分からないのは、思った以上に心にダメージがあると想像できるのですが、皆さまはいかがですか。メンタルを健全に保っておくには、「個人」でのアイデンティティを持っておく、しかも、いくつかバリエーションを持っておくことがいいのかも、と思いました。だって、「アイデンティティ」は幻。さらに「ありのままでいいんだよ」も幻想。雲や霞をつかむようなもの。いいえ、もちろん真実は「アイデンティティ」、「ありのまま」大事。そうなんです、確実に。でも、不思議と口に出した途端に幻想になるんです。言語化することの怖さはここにあるのですね。

 

 今回、セクシュアリティのアイデンティティを口に出した途端(しかもすらすら出る自分を認識した途端)、「あ、これ、ただの慣れや惰性で使い古したコミュニケーションをしてるな」と感じました。その証拠に、その場にいた方々の深く深くコミュニケーションを交わす姿の眩しいこと。その光景たるや、マイノリティ(つまりどんな人でも全て)、ここにあり! 不安定さこそ存在の深さ。安全圏を飛び出そう。瞬間的にそのように叱咤激励された気持ちになりましたよ。

 

 ご一緒させていただいた方々、ありがとうございました。(ここ、誰が読むん...)