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cocorotteの自殺対策イメージ


「人の存在」の可能性

 

 「24時間365日そばにいる」。そんなことが可能なのでしょうか。でも、cocorotteはそれをコンセプトに掲げています。それも「ふんわりと」そばにいる存在になるという表現で。ここでの「存在」は、押し付けるでもなく、いるかいないかも分からないぐらいの感じ。でも「存在」とあるのですから、確実に「そばにいる感がある」ということなのですね。

 

 最近この「存在」ということについて考え込んでいます。今書いている新しい作品は「存在」がテーマです。例えば、生者と死者だと「死者」には存在はないのかとか、自分で感じる「存在感の有無」は、何を基準にそうなのかなど。そう、「生死」と「存在」の関係性ということを考えているのかも知れません。私の感覚では、「存在」に生死は関係がないように思います。生死を越えるのですから、距離ももちろん関係ない。時間も。「存在」にただ必要なものは「あたたかさ」ではないのかなと。ババババーーッと取っ散らかった思考が、徐々に私の中心に集約されて来るようです。

 

 

「存在」の意味を広げることのできる感性

 

 私の存在の根幹として、父抜きには語れません。私は父親っ子でした。父は15年前に病気で亡くなりました。その時は気づかなかったのですが、きっと私はパニックに陥ったと思います。「父の存在はなくなったのだろうか」と。私の血肉を外に全部ぶちまけ、自分の中にある父の存在を探し求めたのでしょう。そして・・・・・・。確かにありました。父の存在はしっかりと私の内に。「あたたかさ」として。それが分かったとき、自分の感じ方、感性を本当に心から大切にしようと思いました。

 

 

「存在」の考え方を「自殺対策」に適用する

 

 さて、私の大きなテーマとして「自殺」があります。「24時間365日ふんわりとそばにいる」という存在になることが一番の「自殺対策」ではないかと考えているのです。「自殺」という行動を起こす時、人はどういう心理状態になるのか。それを想像することはもちろん難しく、自分の身に照らすしかないのですが、私の場合(20年以上前に自殺未遂歴があります)は「今日と同じ明日が来ることが、もう耐えられない」という状態でした。今日、たった今、何か事件が起きたわけではなく、社会の中で、静かに静かに生きて行くモチベーションが削がれて行くのです。もちろんその中には様々な要因があります。社会制度に無知であったり、適切な医療を受けられていなかったり。でも、まずは「今日」をほんの少しでも軽くして、明日へ命を繋がなければいけません。それを私は「1g心を軽くする」と表現しています。命を1日伸ばせば、新たな生きる知恵が湧くこともあるでしょう。私はなぜそうなったかの答え探しをするよりは、答えを出すのを先延ばしにする、時間稼ぎをするようにしたいと思っています。

 

 

言葉や文章が「存在」になり得る

 

 「本」は、その人が望めば、24時間365日ずっと心に寄り添うことができます。私の心が言葉や文章となり、書籍としてふんわりとそばにいることができればどんなに嬉しいことでしょう。絵本『ジュエルっ子物語』の「対話型絵本原画展」プロジェクトもその意味合いが強く表されています。カウンセリングルームや相談室に行くでもない、心が弱っていると手を挙げるわけでもない。私が寄り添う人は、一生姿も形も見えないかも知れない。でもあたたかい存在が常にそばにある。そういうイメージです。私が書いた文章こと「私の存在」なのですね。あたたかく届いていますように。